Home / 恋愛 / あおい荘にようこそ / 001 お腹を空かせた家出少女

Share

あおい荘にようこそ
あおい荘にようこそ
Author: 栗須帳(くりす・とばり)

001 お腹を空かせた家出少女

last update Last Updated: 2025-05-19 17:00:27

「……」

 目の前に倒れている少女がいたら、どうするのが正解なのだろうか。

 世知辛い世の中、一つの決断がその後の人生を狂わせることもある。

 声をかけていいものか。不審者呼ばわりされないか。

 痴漢扱いされるのだろうか。

 世の男たちはきっと、戸惑い悩むことだろう。

 しかし彼、新藤直希〈しんどう・なおき〉は違った。

 迷うことなく声をかけた。

「どうしました? 大丈夫ですか」

 直希の声に少女は反応しない。苦しそうに、小刻みに息をしているだけだった。

 * * *

 今日は7月20日。

 天気予報では、猛暑日だと言っていた。

「熱中症……?」

 直希が少女の肩に手をやり、再び声をかける。

「大丈夫ですか?」

 肩を揺さぶられ、ようやく少女が目を開けた。

 そして視界に入った見知らぬ男の手を握ると、息絶え絶えにこう言った。

「お水……お水をください……それからあと……何か食べる物を……」

「お水と食べ物……分かりました。とにかく中に」

 少女が差し出された手を弱々しく握り、立ち上がろうとする。

 しかし力が入らず、そのまま直希の胸に倒れ込んでしまった。

「……ちょっと我慢してくださいね」

 直希はそう言うと、彼女を抱きかかえて立ち上がった。

「あ……」

 少女の胸が締め付けられる。

(これ……これって、お姫様抱っこ……)

 直希が立ち上がると、少女は直希の肩に手を回し、そのまましがみついた。

「大丈夫ですか? 中に入りますよ」

 太陽を背に語り掛ける直希に、少女は思わず、

「王子様です……」

 そうつぶやいた。

 * * *

 靴を脱ぎ捨てた直希は、まっすぐ食堂へと向かった。

 中にはテーブルが5卓あり、奥がカウンターになっている。

 テーブル席に少女を座らせると、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、コップに注いだ。

「とりあえずこれ、飲んで下さい。あ、でも落ち着いて、ゆっくり飲んで下さいね」

 しかし少女はコップを受け取ると、あっと言う間に飲み干した。

「ごほっ、ごほっ」

「そうなるから言ったんですが……慌てなくてもまだありますから。ゆっくり飲んでくださいね」

 そう言ってペットボトルをテーブルに置くと、少女はペットボトルを両手でつかみ、そのまま口にした。

「聞いてない……まあ、その様子なら大丈夫ですね」

 直希が苦笑し、カウンターから皿を持ってきた。

「昼の残りだから、こんな物しかないんですけど」

 海苔が巻かれた小さめのおにぎりが8つ。そして卵焼きと焼きたらこ。

「よかったら食べてください」

 そう言って笑う直希は、天使にしか見えなかった。

「い……いただきますです!」

 言うか言わないか、少女は両手でおにぎりをつかむと、夢中で口の中に放り込んだ。

「あ、いや……そんなに慌てて食べると、喉が詰まって……」

「はい……むぐむぐ……ありがとう……ございますです……」

「ははっ……」

 麦茶の入ったコップを置くと正面に座り、直希は改めて少女を見つめた。

 次々とおにぎりを平らげていく少女。余程空腹だったのか、自分の目にどう映るかなんてお構いなしで、口に放り込んでいく。

 髪はストレートで少し明るめの茶色。小さい顔立ちに大きな瞳が印象的だ。

 ほっそりとした体形だが、服の上からでもよく分かる立派な胸。

 白を基調としたワンピースは気品があり、つばの大きな白い帽子を見ても、避暑の為に別荘に赴くお嬢様のようにも見えた。

 食べ方を除けば。

 時折おにぎりを喉に詰まらせると、麦茶で一気に流し込む。そうこうしている内に、皿の上にあったおにぎりを全て平らげてしまった。

「嘘だろ……小さめに握ってたとは言え、三合近くあったんだぞ……」

 何もなくなった皿を見てつぶやく直希をよそに、少女は残った麦茶を飲み干しひと息ついた。

「おいしかったですー」

「あ、あははははっ……満足していただけて何よりです」

「あ! そうでした! あのその、この度は見ず知らずの私の為に、こんなに親切にしていただいて……ありがとうございますです!」

「いいですよ。残りもんでしたし」

「これが残り物……あのその、ここは天国でしょうか」

「天国って、そんな大袈裟な」

「大袈裟じゃないです! ここは涼しくて、飲み物だってありますです。それにおいしいおにぎりまで……炎天下の外が地獄なら、ここは天国です!」

「あ、あはははっ……ま、まあ元気になったようでよかったです、その……」

「あ、ごめんなさいです。命の恩人を前にして私、名前も名乗らずに。私、風見あおいと申しますです」

「風見……あおいさん、ですか。俺は新藤直希です」

「新藤直希さん……そのお優しい雰囲気にぴったりのお名前です」

 そう言って、あおいと名乗った少女が頬を染めた。

「それでその、風見さんはどうしてあんな所で」

「はい、実はその……私、お腹が空いてまして」

「いや、それは知ってます。と言うか、今のを見てその説明はいらないですから」

「はい……ごめんなさいです。あの、私……」

「どうした直希。お客さんか」

 声に振り向くと、そこに直希の祖父母、栄太郎と文江が立っていた。

「ああ、じいちゃんばあちゃん」

「だからナオちゃん、そうやって私たちをコンビみたいに呼ばないの」

 そう言って文江が笑う。

「この人、風見さんって言うんだけど、家の前で倒れてたんだ」

「倒れてたって……ちょっとあなた、大丈夫なの?」

 文江があおいの隣に座り、心配そうに見つめる。

「は、はいです、大丈夫です。新藤さんに助けていただきましたので」

 二人が直希を見ると、直希が小さくうなずいた。

「まあその、何て言うか風見さん、お腹が空いてたみたいなんだ。それと軽い熱中症で」

「でももう大丈夫です。新藤さんにお飲み物とご飯、いただきましたので」

「そうなのかい? あんまり具合が悪いようなら、病院に行った方が」

「びょ、病院はいいです」

「ん?」

「あ……その、実は私……」

 三人が顔を見合わせる。

 あおいは観念して小さく息を吐くと、少しうなだれて口を開いた。

「実は私、家出してきたんです」

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • あおい荘にようこそ   176 クリスマスプレゼント

    「明日香さん……今なんて」「結婚してほしいんだ、あたしと」 突然のプロポーズに、直希は煙草を落として固まった。「あたしね、その……前に一度、ダーリンにプロポーズしたつもりだったんだ。みぞれとしずくの父親になってほしいって。でも、ダーリンってば鈍感だから、言葉通りに受け止めちゃって。一世一代の告白だったのに、うまく誤魔化されちゃってさ。だからね、もう一度はっきり言おうって、ずっと思ってた。 あたしは今も昔も、ダーリンのことが好き。愛してる。でもダーリンは、あたしって言うか、女のことになるといつも逃げ腰でさ。つぐみんやなのっち、アオちゃんにアピールされても、いつもうまくとぼけてた」「それはその……あ、いや、とぼけてた訳じゃなくて」「分かってる。ダーリンはちゃんと、相手の気持ちを理解してた。少なくとも、あたしやなのっちのことはね。ただダーリン、本当にそういうことになると臆病だから、鈍感な振りをして誤魔化してた」「……ははっ、お見通しだったんですね」「でもね、あたしはそれもいいかって思ってた。毎日が本当に楽しかったから。あおい荘が出来て、なのっちやアオちゃんもやってきて、毎日賑やかに笑いながら、みんなでダーリンのことを取り合って。本当、楽しかった。 無理にあの日のことを掘り返して、今の幸せを失いたくない、そう思ってた。でもね、楽しい時間もそろそろ終わり……そんな気がしたんだ」「明日香さん……」「アオちゃんの家から帰って来て、ダーリンを見た時に感じたんだ。ダーリンの中で、何かが変わったって」「……」「ダーリンが自覚してるかどうかは分からない。でもね、あの時あたし、本当にそう思ったんだ。あたしはバカだからうまく言えないけど、ダーリン、未来を見ることを恐れなくなった。そう思ったんだ。 いつも感じてた、ダーリンの中にある闇。それが何なのか、あたしは

  • あおい荘にようこそ   175 宴

    「来た来た」 正門前にタクシーが止まると、兼太が嬉しそうに声を上げた。 その声に、皆が安堵の笑みを浮かべる。そしてそれぞれの思いを胸に、正門へと歩いて行く。 扉が開き、まず文江が外に出て皆に頭を下げた。山下や小山が「おかえりなさい」と嬉しそうに声をかける。 直希は料金を支払って助手席から出ると、皆に一礼した後でトランクにある荷物を取りに後ろに回った。 だが一向に、栄太郎が車から出て来ない。「栄太郎さん……なんで出て来ないんですかね」 兼太のつぶやきに、明日香が陽気に言葉を返した。「栄太郎さん、柄にもなく照れてるんじゃない?」「嘘……あの栄太郎さんが、照れてる?」 庭先でざわつくスタッフや入居者たちに、直希が苦笑した。「じいちゃん、溜めはそのぐらいでいいよ」 その言葉に誘〈いざな〉われるように、栄太郎が勢いよく姿を現した。「メリー・クリスマース!」 * * *「え」「あ」 栄太郎はサンタクロースの格好をしていた。 その姿に、一瞬固まった入居者たちだったが、やがて肩を揺らして笑い出した。「サンタさんです! つぐみさん、サンタさんが来ましたです!」「……あおいには受けたみたいね、よかったわ」 周囲の反応に微妙な顔をした栄太郎だったが、あおいの言葉に気をよくしたのか、背負っていた袋を下ろすと、中の物を手に取った。「ええっと、これは小山さんだな。メリー・クリスマス!」「あらあら、うふふふっ。この年でサンタさんからプレゼントだなんて、長生きはする物ね」「小山さん、色々迷惑かけたね」「うふふふっ。おかえりなさい、栄太郎さん。お元気になられたみたいでよかったわ。これからもよろしくね」「ああ、ありがとう。そしてこれは&hel

  • あおい荘にようこそ   174 けじめ

     少し落ち着いた頃に、つぐみたちを呼んでほしい、そう菜乃花が言った。 兼太は一瞬戸惑ったが、やがて笑ってうなずくと、彼女たちを呼びに部屋を出て行った。 今すぐにしなければいけないことがある。 これまでずっと、自分の弱さに甘えて逃げて来た。 でももう、そんな自分じゃ嫌だ。 周囲の人たちは皆、私の弱さを知っている。だから何があっても許してくれた。有耶無耶にしてくれた。 そのせいで自分の中にも、知らない内に甘えが生まれていた。 そんな殻を破りたい。そしてそれは今しかない、そう思った。 * * *「……入るわね」 つぐみがそう言って扉を開ける。つぐみに続いてあおいも、そして集配に来ていた明日香も入ってきた。「じゃあ俺、食堂に行ってるから」 そう言った兼太を、菜乃花が呼び止めた。「あ、でも……俺はいない方が」「いいの、ここにいて。いて欲しいの」「……分かった」 そう言って扉を閉めると、促されるままに菜乃花の隣に座った。つぐみたちも、菜乃花を囲むように腰を下ろす。「大丈夫ですか、菜乃花さん」「はい、大丈夫です。その……さっきまではそうでもなかったんですけど、今は落ち着きましたので」「そうですか、それならいいのですが」「兼太くんのおかげです」 そう言うと、兼太は照れくさそうに頭を掻いた。「それで、あの……みなさんにはちゃんと、報告した方がいいと思いまして」「報告って、何かしら」 つぐみの声に、菜乃花が肩をビクリとさせた。「あと……菜乃花。話をするなら、ちゃんとこっちを向きなさい」「つ、つぐみさん、ちょっとそれは」 あおいが慌てて口を挟む。しかしつぐみはそ

  • あおい荘にようこそ   173 何度でも言うよ

     12月24日、クリスマスイブ。快晴。 あおい荘のスタッフ、入居者たちが玄関先に集まっていた。 待ちに待った、栄太郎の退院日。 それぞれの思いを胸に、皆が栄太郎の帰還を待っていた。 スタッフの中に、兼太と共に笑っている菜乃花の姿もあった。 あの日から一週間が経っていた。 * * * 兼太に支えられてあおい荘に戻った菜乃花は、そのまま部屋へと戻っていった。 散々泣き疲れたせいか、足元もおぼつかず、歩いて10分ほどのところを30分もかけて戻って来たのだった。 玄関口で兼太が、「……じゃあ、これで」そう言って帰ろうとしたのだが、その兼太の袖をつかみ、「お節介焼くんだったら、最後まで責任持ちなさいよ……」と力なく言われ、そのまま部屋に入っていったのだった。 菜乃花の顔を見た小山は複雑な表情を浮かべたが、後ろで立っている兼太に気付くと、「ちょっと山下さんの所に行ってるわね」そう言って部屋を出たのだった。「……」 菜乃花は部屋の隅に腰を下ろすと、膝に顔を埋めて肩を震わせた。 こういう時、どうするのが正解なんだろう。そんなことを思いながら入口で立っていると、菜乃花が無言で隣に座る様、畳を叩いた。「お邪魔……します」 決まり悪そうにそう言うと、兼太が静かに腰を下ろす。「……兼太くんは」 重い空気を破り、菜乃花が口を開く。「今の私を見て、どう思ってるのかな」「どうって……俺の気持ちはもう、伝えたはずだよ。何も変わってない」「何よそれ……答えになってない」「俺は……菜乃花ちゃんのことが好きだ。これからだって、ずっとそのつもりだ。菜乃花ちゃんは俺にとって大切な人で、その&hel

  • あおい荘にようこそ   172 初恋

     隣に座った直希は、自販機で買ってきたミルクティーを菜乃花に渡した。「待たせちゃったかな」「いえ、そんなことないです。私が勝手に、早く来ただけですので」「着替えた方がよかったんじゃない? 制服のままだと寒いだろ」「いえ、大丈夫です。ここで海を見て、色んなことを考えたかったので」 そう言って一口飲み、「あったかい……」と笑みを漏らした。「……ここに来てから、本当に色んなことがあったんだなって、そう思ってました。おばあちゃんと初めてあおい荘に来た日、あおい荘の雰囲気に驚いて……直希さんに会って……男の人とあんなに話をしたのは初めてで……でも直希さん、私に目線を合わせてくれて、穏やかに笑ってくれました。私が怖がらない様に気を使ってくれて……それが嬉しかった事、すごく覚えています。 それからの毎日は、ものすごく目まぐるしく動いてました。毎日が新鮮で、キラキラ輝いていて……あおい荘に住むようになってからは特にそうで……まるで自分じゃないみたいで、いつも笑って……本当に楽しかったです。 つぐみさんと友達になって、明日香さんとも仲良くなれて……あおいさんに楽しい毎日をもらって、笑顔をもらって……夢みたいでした。 私は他人が苦手で、いつも怯えてました。男の人は勿論だけど、女の人に対しても、いつも身構えていました。何もされないって分かってるのに、視線が怖くて……笑われているような気がして、本当に怖かったです。 でも、文化祭が終わった頃から、自分でも驚くぐらい肩の力が抜けていました。あれだけ緊張していた教室なのに、まるで自分に『ここにいていいんだよ』って囁かれてるような気がして……クラスメイトとも普通に話せるようになってました。 そう思って考

  • あおい荘にようこそ   171 幸せと言う罰の重みに

     つぐみと菜乃花の喧嘩を治めた後。二人はあおい、明日香に連れられて部屋へと戻っていった。 一人残された直希は部屋に戻り、布団に寝転び天井を見つめていた。 本当なら、あおいを送り届けた後で、栄太郎の様子を見に行くつもりだった。 しかし、それどころではなくなってしまった。 栄太郎のことも心配だったが、大丈夫だと言ってくれたつぐみの言葉を信じ、今日はあおい荘のことだけを考えよう、そう思った。 そして夜。 様々なことが頭に浮かび、さながら脳内は、これまでの半生を振り返るイベントの様相を見せていた。 そして。 考えれば考えるほど、これまでの言動に嫌気がさしてきた。 * * * 昨夜、あおいに告白された。 卒業式の日、つぐみに告白された。 みぞれとしずくの父親になってほしい、そう明日香に言われた。 そして今日。 菜乃花から二度目の告白を受けた。 これまで、罪人である自分にそんな資格はないと、彼女たちの想いを拒んで来た。しかし昨夜、あおいからその罪を許され、そして罰を受けることになった。 幸せになるという罰を。 もう、今までのような言い訳は出来ない。 彼女たちの想いと向き合い、結論を出さなくてはいけない。 そう思うと、自分でも驚くぐらい混乱するのが分かった。 ある意味、十字架を背負っていた時の方が楽だと思えるぐらい、彼女たちの気持ちが重くのしかかってきた。「なんだよこれ……」 どれだけ自分は、不幸に依存してきたのか。 不幸を望んでいるが故に、バランスを保っていた自分。そんな自分が滑稽に思えた。 そして今。自身の答えが誰かを傷つけることになると思うと、頭が痛くなった。吐き気がしてきた。 誰も不幸にしたくない。みんなに笑顔でいてほしい。 自身を顧みず、人の幸せを望むことがどれだけ楽な生き方だったかを、思い知らされているようだった。

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status